死の床で見つめる生。筋ジストロフィーの彼らが教えてくれた「本当の臨床」
「臨床」という言葉の語源は、「死の床に臨む」ことにあります。 医療の原点とも言えるこの場所で、私は人間の圧倒的な強さと、ある「リアル」に出会いました。
1. 意識は最期まで清明であるという現実
みなさんは、筋ジストロフィーという疾患をご存じでしょうか。 全身の筋力がゆっくりと失われ、やがて心肺機能の低下によって最期を迎える難病です。病型によりますが、その寿命は20歳前後から55歳前後と言われています。この病は最期まで意識がはっきりと清明です。体が動かなくなっていく恐怖と理不尽に、彼らは頭脳明晰なまま向き合い続けます。
2. 終末期病棟の「電車ごっこ」が意味するもの
終末期病棟で、彼らが「電車ごっこ」をして遊んでいる姿を目にしました。 先頭の電動車いすが、後ろの手動車いすを引っ張って、病棟を何周も楽しそうに回っているのです。声がうまく出ないながらもはしゃぐ彼らを見て、私は少し安堵すると同時に、どこか奇妙な違和感を覚えました。その違和感の正体を、病棟主任の言葉が突き刺します。
「先頭から順に死んでいくことを、彼らはみんな知っている。これは代替わりの儀式なんよ。列の順番は、彼らが自分で決めている」
混じりけも、逃げ場もない、圧倒的なリアリズム。 その透明すぎる現実を前に、私は足元が崩れ落ちるような衝撃を受けました。しかしこれこそ、彼らが日常的に生きている世界です。
3. 不条理を越えた先にある、透明な覚悟
文字盤や視線入力装置を使い、彼らの本音に触れようと試みました。 そこにいたのは、運命を呪い、憤怒する段階をとうに通り過ぎた人たちでした。ジミ・ヘンドリックスを愛したある患者は、混じりけの無い透明な瞳で、静かにこう語りました。
「来世はギタリストや。でなきゃ、それこそ理不尽や」
死の床に臨む場所(=臨床)で、彼は絶望を超えて今世の運命を受け入れていました。なおも自分の人生をユーモアと覚悟で満たし、来世を確信していました。その強さこそが、私たちが医療やケアの現場で向き合うべき、本当の「生」の姿なのだと確信しています。
2026年04月21日 15:19